市内の最北部、標高約18mの台地上に位置する幸田貝塚は、今からおよそ6000年前の縄文時代前期に形成された貝塚です。その分布範囲は南北約250m、東西が約180mにも及ぶ広大なものです。この遺跡については、昭和3年に東京帝国大学の『日本石器地名表』に紹介されて以来、今日に至るまで考古学研究者の高い関心を集めてきており、すでに松戸市教育委員会も17次にわたる発掘調査を行っています。その結果、縄文時代前期をはじめとする竪穴式住居跡を計160軒以上検出し、この貝塚が大集落に伴うものであることを明らかにしています。
また、他にも多量の土器や石器、貝塚の中から獣や魚の骨、炭化したクルミなど当時の暮らしをほうふつとさせる貴重な遺物が出土しています。特に、多種多様な縄の文様を施した「関山式(せきやましき)」と称される土器群は、縄文時代の土器研究上きわめて重要な資料となっています。