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2021/02/12

矢切の渡し<運休について>

<矢切の渡し運休について※令和3年2月12日現在>

矢切の渡しは、江戸川河川管理施設の補修等工事の実施にあたり、下記の期間松戸矢切側からの運航を休止いたします。

葛飾区柴又側からのみ運行しており、矢切に接岸せず柴又に戻るコースで渡し舟を体験できます。

 

 

松戸矢切側の運航休止期間

令和3年2月15日(月曜)から令和3年4月上旬ごろ

※天候や工事の状況により、運航休止期間が前後する可能性があります。

 最新情報を確認次第、随時更新いたします。

 松戸市HP「矢切の渡し・野菊の墓文学碑」でも情報を公開しています。

 

 ■矢切の渡し・野菊の墓文学碑|松戸市 外部リンク

 

運航ルート

柴又を出航して、柴又へ戻るコースのみ。

※松戸矢切側の乗り場は利用できません。

 

運航日

不定休。12月から3月上旬までは、土曜・日曜・祝日・帝釈天の縁日のみ運航。

※荒天時は運休となります。

 

運航時間

10時頃から16時頃まで

 

料金

大人:400円、子ども:200円

※出航し柴又へ戻るルート。松戸矢切側の運航休止期間のみ。

 

 


小説「野菊の墓」や、歌謡曲「矢切の渡し」で有名な唯一現存する江戸川の農民渡船で、矢切と葛飾区柴又を結んでいます。

 

「矢切の渡し」の歴史について

 

「矢切の渡し」は、江戸時代初期、地元民専用に耕作や対岸の農地への移動手段として使われるとともに、日用品購入、寺社参拝などの目的のために、徳川幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、「金町・松戸の渡し」と呼ばれていた。

これらの渡しについては、江戸幕府による直轄事業として行われていた。 渡し場で使われていた船は、金町村と松戸村で 2隻ずつ出していたが、その後、松戸町だけで船を出すようになる。 当時の渡航運賃は1人3文。馬も5文で乗ることができたといわれている。

 

1740年頃、渡しの運営が幕府による直轄事業から、幕府と松戸町、町民による半官半民の運営体制となったことから、百姓たちにも渡し業を請け負わせた時代もあったそうである。

 

明治初期には、関所廃止及び陸運の発達のため、鉄道や主要幹線道路などに橋が開設されるようになり、各地で渡し船を廃止するところが場を閉めるようになった。

隅田川では、戦後まで運行を続けている渡し舟もあったが、「佃の渡し」が昭和39年、「汐入の渡し」が昭和41年を最後に廃止され、現在、東京近郊で定期的に運行されている渡しは、「矢切の渡し」のみとなっている。

なお、「矢切の渡し」は、「下矢切の渡し」とも呼ばれる時期もあったそうである。

松戸市下矢切と東京都葛飾区を結ぶ、現在の「矢切の渡し」の運行航路の他に、1877年(明治10年)から1910年(明治43年)まで、この上流である上矢切から金町間を往来した「上矢切の渡し」が運行されていたからである。

 

この「矢切の渡し」が世に広まったのは、1906年(明治39年)、雑誌「ホトトギス」に発表された、矢切を舞台に、政夫と民子の悲恋の物語を描いた小説「野菊の墓」の一節、「僕の家といふは、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上で矢切村と云っている所。」として描かれたことによるとされている。

(下矢切の西連寺の境内には、小説の一節を描いた「野菊の墓文学碑」が建立されている。)

 

 


 

 

この渡しが全国的に有名になったのは、1982年(昭和57年)に細川たかし氏が歌った、歌謡曲『矢切の渡し』が大ヒットしたことや、フーテンの寅さんが柴又を舞台に各地を訪れる映画『男はつらいよ』が上映されたことで、「矢切の渡し」が全国的有名となり、再び脚光を浴び、年間20万人以上の観光客が乗船する時期もありました。

 

「矢切の渡し」は、有限会社矢切渡船で運営・運行しているが、明治時代から、杉浦家において、世襲制で代々運行を引き継いでいる。

現在もなお、帝釈天や寅さん記念館&山田洋次ミュージアム、山本亭などがある対岸、葛飾区柴又などを訪れる人の観光コースとして、運行を続けている。

 

〈参考〉

「矢切の渡し」を紹介する看板の文面について

 

松戸側

矢切の渡しは 松戸市下矢切と東京都柴又を往復する渡しで、その始まりは380余年前、江戸時代初期にさかのぼります。 当時、 江戸への出入は 非常に強い規則のもとにおかれており、 関所やぶりは 「はりつけ」になろうという世の中でしたが、 江戸川の両岸に田畑をもつ農民は、 その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡船で行きかうことができました。これが矢切の渡しの始まりで、いわゆる農民渡船といわれるものです。

明治以降は、 地元民の足として、また自然を愛する人々の散歩コースとして利用され 現在では 唯一の渡しとなっています。 この矢切の渡しの庶民性と矢切の里の素朴な風景は、 千葉県の生んだ歌人でもあり、小説家でもある伊藤左千夫の小説“野菊の墓”の淡い恋物語の背景となっており、その小説の中で美しく描かれております。

 

葛飾側

元和2年(1616) 、幕府は利根川水系河川の街道筋の重要地点15ヵ所を定船場として指定、 それ以外の地点での渡河を禁止しました。

その1つが矢切の渡しで、 この付近を通る国分道に架かる渡しで、主に近郷の農民が対岸の農耕地へ渡るために利用していました。

現在、 都内に残る唯一の渡し場で、 今も昔ながらの手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切との間を往復しています。 伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台となり、 ヒット曲「矢切の渡し」を生んだ地としても有名です。

 


※令和3年2月現在松戸側からの船は運休しております。

運行日 3月中旬~11月:毎日
12月~3月上旬:土・日・祝日のみ(1/1~7、帝釈天縁日は運航)
※天候や水位の状況により運休の場合があります。電話での問い合わせのうえ、お出掛け下さい。
運行時間 10時00分~16時00分
定員 1曹30名
料金 中学生以上200円、小人(4歳~小学生)100円
電話番号 047-363-9357(事務所)
交通

バス:

松戸駅西口より 矢切の渡し行 終点「矢切の渡し」下車すぐ(土・日・祝日のみ)

松戸駅西口より 旧矢切高校行 終点「旧矢切高校」下車徒歩15分      ■お問い合わせ:京成バス松戸営業所 047-362-1256

駐車場 普通車20台、マイクロバス可能(大型バス不可)
地図
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