皆さんは『汽笛一声新橋を~』で始まる鉄道唱歌をご存知でしょうか。
短いメロディーに各地の名所を織り込んで明治時代後期に作られたこの歌は当時大人気となり、良く知られた東海道編のほかにも全国各地を巡り第6集まで作られました。この他にも各地で「我が町の名所」を歌った替え歌が全国に何種類もあるそうです。
この「松戸ふるさと唱歌」は市民サークル等の集まりでも松戸の名所旧跡を広く普及できるようにと2023年に市民の手によって作られたものです。日頃あまり知られていない松戸の故事・名所皆さんで再発見していただければと思います。
筑波に富士を仰ぎ見て 江戸川渡れば右手には 下総国府の国府台 道灌 里見の夢の跡
上り下りの舟人の 夢を紡いだ松戸宿 奥州出でし周作の 修行の一歩ここなりき
更級日記に書かれたる 涙で乳母と別れしは 太日川の渡りの津 松戸の里と覚えたり
群雄割拠の合戦で 敗れし里見の涙跡 経世塚は相模台 学びの園に祀られて
上総下総安房の国 元はと言わば遠国 (おんごく)の 民が行き交う所なり 房総半島わが故郷
明治の世には競馬場 大正時代は陸軍の 工兵学校ありしとて 今は正門残るのみ
野菊の墓の舞台なる 政夫と民子の初恋の 矢切の里は今もなお 左千夫詠いし村なりき
右手に見ゆるお屋敷は 慶喜・昭武兄弟が 仲良く遊びし戸定邸 維新は遠くなりにけり
縄文銀座と昔から 言われし松戸の住みやすさ 土偶や甕を発掘の 歴史がそれを物がたる
徳川の世に流れ変え 物資を江戸へ運ぶ川 河岸に老舗の船問屋 源内、太兵衛が務めます
1)上総下総安房の国 元はと言わば遠国 (おんごく)の
民が行き交う所なり 房総半島わが故郷
・ 古くは安房・上総・下総3か国の房総半島、南は海路で、北は陸路で遠方の各地とも交流がありました
2)筑波に富士を仰ぎ見て 江戸川渡れば右手には
下総国府の国府台 道灌・里見の夢の跡
・ 西に富士山、北に筑波山を望む江戸川下流東の台地には下総国府(市川市国府台)とその歴史が残っています
3)更級日記に書かれたる 涙で乳母と別れしは
太日川の渡りの津 松戸の里と覚えたり
・ 更級日記の作者が涙で乳母と別れたのは太日川(江戸川)を渡る「まつさと」という所でした
4)縄文銀座と昔から 言われし松戸の住みやすさ
土偶や甕を発掘の 歴史がそれを物がたる
・ 縄文時代から水と食料に恵まれ住みやすかったことは出土品の多さがそれを物語ります
5)群雄割拠の合戦で 敗れし里見の涙跡
経世塚は相模台 学びの園に祀られて
・ 戦国時代、相模台の合戦で没した里見の軍勢を祀る経世塚は聖徳大学の構内にあります
6)右手に見ゆるお屋敷は 慶喜・昭武兄弟が
仲良く遊びし戸定邸 維新は遠くなりにけり
・ 戸定の坂を上り右に見える屋敷が明治維新後に徳川慶喜・昭武兄弟ゆかりの戸定邸です
7)明治の世には競馬場 大正時代は陸軍の
工兵学校ありしとて 今は正門残るのみ
・ 松戸中央公園は明治には競馬場、大正には工兵学校があり正門跡が残っています
8)野菊の墓の舞台なる 政夫と民子の初恋の
矢切の里は今もなお 左千夫詠いし村なりき
・ 「野菊の墓」が描くの初恋の舞台となった矢切には今も短歌大会に左千夫の意が伝わります
9)上り下りの舟人の 夢を紡いだ松戸宿
奥州出でし周作の 修行の一歩ここなりき
・ 行きかう旅人の思いが集まる松戸宿、奥州から出てきた千葉周作も修行の最初はこの地から
10)徳川の世に流れ変え 物資を江戸へ運ぶ川
河岸に老舗の船問屋 源内、太兵衛が務めます
・ 幕府が川の流れを変え物流拠点となった河岸は青木源内・梨本太兵衛2軒の船問屋が支えました
水戸様御用の小金宿 あじさい名高き本土寺に 枝垂れ桜の東漸寺 今も残るは玉屋宿(やど)
江戸の昔は出開帳 ご利益あらたか仁王像 股のくぐりで知られたる ここは馬橋の萬満寺
戦国時代の城跡に 耳を澄ませば鬨(とき)の声 つわものどもが夢の跡 その名もうるわし黄金城
田園広がる土地変わり 今や高層マンション群 新住民の住む所 その名も新し新松戸
明治の御世に生まれしは ありの実その名も新しき 二十世紀と名付けられ 誉も高き大橋ぞ
小金は水戸家の鷹狩場 お留守居役の玄蕃様 派手な遊びは吉原で 歌にも唄われ知られたり
江戸川沿いの船宿は お江戸の人の憧るる 飯盛り女の待つところ 夢の里なり平潟は
俳句が取り持つ長逗留 馬橋随一大店の 油屋立砂亡き後は 一茶も越後に帰りけり
家康ゆかりの秋山は 武田の血筋絶やさずと 水戸家 母君受けし化粧(けわい)の地
源氏の武将の愛馬なる 生月(いけづき)眠る高塚と 将門伝説紙敷は 古き松戸の物語
11)江戸川沿いの船宿は お江戸の人の憧るる
飯盛り女の待つところ 夢の里なり平潟は
・ 飯盛り女を置くことを許された平潟の船宿は江戸の人々にも知られた夢の里でした
12)明治の御世に生まれしは ありの実その名も新しき
二十世紀と名付けられ 誉も高き大橋ぞ
・ 明治時代に発見され二十世紀と名付けられた梨の名前はのちに大橋地区の地名にもなりました
13)源氏の武将の愛馬なる 生月(いけづき)眠る高塚と
将門伝説紙敷は 古き松戸の物語
・ 源氏武将の愛馬生月を弔う塚が高塚の由来、紙敷には平将門伝説も伝わる松戸の土地柄
14)家康ゆかりの秋山は 武田の血筋絶やさずと
信吉母君賜りし 化粧の土地となりにけり
・ 家康の側室秋山夫人(墓所は本土寺)は武田の血統を小金領主の信吉に託す、その従弟の頼房が水戸家の初代
15)江戸の昔は出開帳 ご利益あらたか仁王像
股のくぐりで知られたる ここは馬橋の萬満寺
・ 江戸時代には船で出開帳に運ばれた萬満寺の仁王像、股をくぐるとご利益があると伝わる
16)俳句が取り持つ長逗留 馬橋随一大店の
油屋立砂亡き後は 一茶も越後に帰りけり
・ 俳句が縁となり馬橋の大店大川家に長期滞在した一茶も立砂の没後は越後に帰ったという
17)田園広がる土地変わり 今や高層マンション群
新住民の住む所 その名も新し新松戸
・ 一面の田園風景だったところに高層マンション群が立ち新住民も転入し新松戸と名付けられた
18)戦国時代の城跡に 耳を澄ませば鬨(とき)の声
つわものどもが夢の跡 その名もうるわし黄金城
・ 耳を澄ますと鬨の声が聞こえる戦国の城跡(大谷口歴史公園)、天下を夢見た軍勢には麗しい黄金城という名が
19)小金は水戸家の鷹狩場 お留守居役の玄蕃様
派手な遊びは吉原で 歌にも唄われ知られたり
・ 鷹狩場の小金には水戸家専用の宿舎が、その留守居役の日暮玄蕃は遊び好きでも知られた
20)水戸様御用の小金宿 あじさい名高き本土寺に
枝垂れ桜の東漸寺 今も残るは玉屋宿(やど)
・ 水戸徳川家が重用した小金宿、花で知られる本土寺・東漸寺のほか当時の旅籠「玉屋」も残る
常盤の緑に名を変えて 生れし団地の新住民 親子二代の故郷(ふるさと)に いつの間にやらなりにけり
水戸街道の松並木 今や車の通る道 坂東太郎を越え行けば 常陸の国に入りにけり
上様采振る御立(たつ)場は お鹿(しし)狩りの所なり 駅名変わりて五香とは 野馬除け土手が残るなり
欅通りのその奥に 親孝行の言い伝え 旨き酒をば親父殿 飲んで笑みたる子和清水
明治の御代にひらかれし牧場の順も六番目 六実と元山知られたる 桜の名所の駐屯地
練兵隊の訓練場 鍬(くわ)の刃立たぬ硬い土 明日の実りを夢に見て その名も高き稔台
隠れ泊まりし松蔭の 松戸に稀なる時宗寺と 上本郷の七不思議 昔話のある里ぞ
三匹獅子舞惣領が 五穀豊穣願う舞 大橋 和名ヶ谷 上本郷 伝統つないで今もあり
力合わせて八カ村 八柱村と名付けしも 今は霊園駅名に その名を残すばかりなり
名馬の故郷(ふるさと)小金原 徳川幕府の御用達 市の立つ日は陣屋前 賑わう町や鮮魚(なま)街道
21)隠れ泊まりし松蔭の 松戸に稀なる時宗寺と
上本郷の七不思議 昔話のある里ぞ
・ 吉田松陰が逃走途中に泊まった本福寺は時宗の寺院、上本郷の七不思議が伝わる土地です
22)三匹獅子舞惣領が 五穀豊穣願う舞
大橋 和名ヶ谷 上本郷 伝統つないで今もあり
・ 五穀豊穣を祈る三匹獅子舞は松戸市内では大橋、和名ヶ谷、上本郷に伝承されています
23)練兵隊の訓練場 鍬(くわ)の刃立たぬ硬い土
明日の実りを夢に見て その名も高き稔台
・ 練兵隊訓練場跡の硬い土を苦労して耕した入植者たちは多くの収穫を望み稔台と名付けました
24)力合わせて八カ村 八柱村と名付けしも
今は霊園・駅名に その名を残すばかりなり
・ 八つの村が力を合わせようと八柱村という名が付きました、今は霊園と駅名に残るばかりです
25)名馬の故郷(ふるさと)小金原 徳川幕府の御用達
市の立つ日は陣屋前 賑わう町や鮮魚(なま)街道
・ 徳川幕府は小金牧で軍用場を育成、その陣屋の前には市が立ち鮮魚街道は賑わいました
26)欅通りのその奥に 親孝行の言い伝え
旨き酒をば親父殿 飲んで笑みたる子和清水
・ 常盤平けやき通り奥の湧水「子和清水」には「親は旨酒、子は清水」の養老伝説が伝わります
27)常盤の緑に名を変えて 生れし団地の新住民
親子二代の故郷(ふるさと)に いつの間にやらなりにけり
・ 昭和に常盤平と名付けられた団地で生まれた子も今では親になり親子二代の故郷になりました
28)上様采振る御立(たつ)場は お鹿(しし)狩りの所なり
駅名変わりて五香とは 野馬除け土手が残るなり
・ 将軍が御立場で采配振った御鹿狩の場も開墾後は五香と改称されますが野馬除土手は残っています
29)明治の御代にひらかれし 牧場の順も六番目
六実と元山知られたる 桜の名所の駐屯地
・ 明治時代に小金牧が開墾された六番目が六実、元山の自衛隊駐屯地は桜の名所です
30)水戸街道の松並木 今や車の通る道
坂東太郎を越え行けば 常陸の国に入りにけり
・ 水戸街道が小金牧を通る区間には目印の松並木がありました、今の国道6号で利根川を越え茨城に至ります
松戸ふるさと唱歌 作詞:石上瑠美子
画像出典
1)「戦国時代勢力図と各大名の動向」(https://sengokumap.net/)
2)名所江戸百景「鴻の台とね川風景」ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
3)江戸名所図会「松戸ノ里」国立国会図書館デジタルアーカイブ
4)深鉢形土器(縄文時代)まつどデジタルミュージアム